2006年06月17日朝日新聞 社説 追悼施設 この提言を生かしたい
だれもがわだかまりなく戦没者を追悼し、平和を祈るための国立の施設を造るべきだ。自民、公明、民主3党の有志議員たちがそんな提言をまとめた。
小泉首相が靖国神社参拝を始めて5年。国内外で大きな論争を呼び、中国や韓国との関係は険しさを増す。
これに危機感を抱き、打開するための方策を探ろうと、山崎拓・前自民党副総裁らの呼びかけで発足したのが「国立追悼施設を考える会」だった。
提言で注目したいのは、首相の靖国参拝について「憲法違反の疑義がある」と明記したことだ。さらに、戦後の東京裁判にかけられたA級戦犯は戦没者ではないのに合祀(ごうし)されていると疑問を呈し、逆に空襲などによる一般の犠牲者がまつられていないなどの問題点も指摘した。
首相の靖国参拝をめぐっては外交面での波紋の大きさが注目されがちだが、日本国民にとっての基本的な問題にきちんと向き合った点を評価したい。
提言にある新たな国立施設では、訪れた人がそれぞれ思い描く戦没者を、望む形式で追悼する。対象は戦死した兵士に限られないし、どんな宗教・宗派の形式でも構わないということだろう。
私たちもこの考え方に賛成だ。
中国などの横やりに屈するのか、といった不満もあるかもしれない。だが、これはもとより日本の国が自ら考えるべき問題である。同時に、それは近隣国やかつての敵国の人々の共感を得られるものでなければならない。平和国家として世界に貢献していくという日本の戦略も、それなしには説得力を欠くからだ。
やはり靖国神社こそが唯一の追悼の場だ、とこだわる人たちもいる。自民党内ではこのところ、靖国神社にA級戦犯の分祀を促す声が高まっている。
そうすれば首相の参拝に支障がなくなるというのだが、それを神社に強制はできないし、現に神社側は拒んでいる。どう実現させるのか、具体的な道筋を示せなければ、分祀論といっても現状を放置するに等しい。
それにしても、何とか打開したいという政治の動きが出る一方で、首相の無責任ぶりには驚くばかりだ。
今週の国会でも「靖国参拝は心の問題だ。私自身は(自民党総裁選の)争点にしたことはない。争点にしたのはマスコミ報道だ」と開き直った。
はっきりしておきたい。ことの発端は01年の総裁選で「首相に就任したら、いかなる批判があろうとも8月15日に参拝する」と言い切った小泉発言だった。
自らが選挙公約として政治の問題にしておきながら、いつしか「心の問題」に変わり、経済界からの批判には「商売と政治は別」とはねつける。最後は「マスコミのせい」というのでは、あまりに定見がなさすぎる。
そもそも01年に、新しい追悼施設を検討すると約束したのは首相自身だった。そのことを思い出し、今回の提言を真剣に考える責任が首相にはある。